自分に向いていないことを諦める力

「諦める」というタイトルからも分かるように、この本の内容は多分に初期仏教的思想がベースとなっている(と思う)。「諦める」とは、「明らかにする」ということである。

とはいえ、為末大氏は勝利にこだわって100mから400mハードルへと転向し、結果としてオリンピックで銅メダルを獲得するに至ったことからしても、為末氏が解脱の道を説くためにこの本を執筆したわけではないことが分かるだろう。(何かにこだわっているようでは、解脱の道は程遠いのだ。)

夢を追いかけ続けることは高尚なことのように思われる。しかし、大人になっていくにつれて気付き始めるかもしれない。「あ、これは自分には向いてない」ということに。そんな時に「諦める」ことができるかどうかが、今後の人生を左右する。

人間それぞれ得意不得意はある、という事実を冷静に見つめる

世の中には、自分の努力次第で手の届く範囲がある。

人間には変えられないことの方が多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。
さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か。

為末氏が100m走を諦めることができたのは、「レースで勝利する」という目的を持っていたことと、自分に与えられた身体能力では金メダルには届かないという冷静な判断のためである。

仏教では四つの苦しみが説かれる。そのうちの一つに求不得苦(ぐふとっく)があるが、これは欲しいものが手に入らない苦しみのことをいう。「欲しいものが手に入らないこともある」という事実に対してどう反応するかは各人の自由だと思う。為末氏とて「全然頑張らなくていい」なんてことは言っておらず、自分に有利な手段を選ぶ方が目的達成は現実的になるという至極真っ当な主張をしている。

何者にもならなくて良い

僕は人間なんてみんな一緒で個性なんてないのだから、何者かになる必要なんてないと言われたほうがほっとする。

究極的には人生に意味などない。何をやるにしてもそれが「あなた」でなければならない理由がどこにあるというのか。
しかし、だからこそ各々好きなように人生に意味付けをして生きることができるのである。正しい生き方はある。あとはその度合いの問題であり、どんな風に正しい生き方を実践するかという違いが多様な生き方として表れる。

限界があることを知る

人生は可能性を減らしていく過程でもある。
できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。

もちろん、より高みを目指すのは価値のあることだ。だが「自分はここまででいい」という線引きがしにくい時代になっていることは確かだと思う。

現代というのは、人と人が物理的な距離を超えてつながり、知識や情報を共有するようになったことで、誰かの視線や価値観、多すぎる選択肢に常にさらされている。

「選ぶ」という作業は結構辛い。選択肢が多い(ように見える)現代では、その辛さは以前よりも増している。自分を知り、自分にとって何が大切なのか、取捨選択することができなければ「あれも、これも」と欲は深まるばかりなのに、何一つ選ぶことができず有限の時間だけが過ぎ去っていくという結果になってしまうだろう。

「仕方のある」ことは頑張って何とかする

人生にはどれだけ頑張っても「仕方がない」ことがある。でも「仕方がある」こともいくらでも残っている。

人は場に染まる。
今までいた場所で、今までいっしょにいた人たちと会いながら、今までの自分ではない存在になろうとすることはとても難しい。

私は、何かを達成するために最も大切なのは意志ではなく環境だと考えている。勉強やダイエットを例に考えてみれば分かりやすいだろう。あなたの周りにいる人の習慣や価値観にあなたは影響される。

環境は自分で変えられる。したがって、環境を変えるための行動はするべきだと思う。そしてそれは今の環境で強い意志を持ち続け、孤軍奮闘することよりも簡単だ。

「努力」してない人には勝てない

最高の戦略は努力が娯楽化することである。
「今」に意識をおけば、じつは努力をしていること自体が報酬化している場合がある。
皮肉なことにそのとき、楽しんでいる本人には「努力と成功の取引をしている」という感覚がない。

報酬はモチベーションやパフォーマンスを低下させるという研究結果もあるが、何かを心から楽しんでいる人には敵う気がしないというのは体感的にわかる。ドット絵職人が仕事の休憩に趣味のドット絵を製作する、みたいな話は本当に羨ましい限りだ。

まとめ

今いるところが最高で、そこから下がればマイナスと考えると、現状にしがみつくことになる。それは結果的に行動や思考を萎縮させることにつながる。今を守ろうとして今も守れないという状況だ。成功という執着や今という執着から離れることで、人生が軽やかになる–これが僕の言いたいことである。

執着をなくすというのは難しい。でも、手放してみると以外と平気だったりするものだ。俗世に生きる者の人生戦略として、「諦める」ことはネガティブなことではない。諦めないことに固執するよりも、もっと自由で幸せを感じられる人生を探すことのほうがずっと有意義なのではないだろうか。

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