20代で知っておくべき持たない幸福論のこと

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない

本というのは「自分がぼんやりと気づきかけていることをはっきりと言葉にして教えてくれるもの」だ。(本文より引用)

みす夫の人生観を誰かに説明するにはこの本を読んで貰えばだいたいOKというくらい、私もphaさんみたいな生き方をしたいなぁと思っている。

phaさんは京都大学を卒業後普通に就職したものの、合わなくてニートになったという人。ニートになってからはウェブサービスを作ってサイトの広告収入を得たり、ギークハウスと呼ばれるシェアハウスを主宰したりしつつ、たまに友達と共同で借りた田舎の古民家に泊まりに行ったりして気ままに暮らしている。(ちなみにこの記事のタイトルはphaさんが作成したホッテントリメーカーで生成してみました。)

合わない場所からは逃げていい
「真面目に学校に行ってちゃんとした会社に入ってずっと働き続けて家族を支える」みたいないわゆる「真っ当な」生き方は、世界にあるたくさんある生き方のパターンの一つでしかないし、そのルートが向いてない人は無理にそれを目指す必要はない。自分に合わない場所で苦しむよりはそこから逃げてもうちょっと自分が楽にいられる場所を探せばいい。世の中に生きる場所は無数にある。僕自身も逃げて楽になった一人だ。

私は地震が嫌いで(好きな人などいないと思うが)、小学生の頃には「地震の無い国に住むこと」を夢に掲げていた。そして遂に2011年3月に発生した東日本大震災が決定打となって、2012年に大学を卒業してすぐワーキングホリデービザを取得してオーストラリアへ飛んだ。日本から早く逃げ出したくて仕方がなくて、大学院への進学が決まっていたけれどとりあえず休学届けを出して先延ばしにした。

ワーホリが終了して日本に戻ったけど結局大学院を1年で辞め、再びメルボルンで生活するという目標にできるだけ神経を集中した。というのも、私は二つ以上のタスクがあると処理速度が異様に低下してしまう、ひと昔前のCPUのような人間だからだ。大学に通うのもタダではないし、研究能力が高いわけでもないので、そっちは諦めて渡豪に向けて少しはお金を貯めたりしようと考えた。

すると6ヶ月のフルタイムの仕事が天から与えられるかのように舞い込んできて、オーストラリア行きの時期を若干延期することにはなったものの、気持ちとしては願ったり叶ったりだ。ちょっとした職歴を手に入れて、これが後々役に立つことがあるかも知れない。

3.11以後の日本には、どんなに便利で清潔な国であろうと住み続けたいとは思えなくて、「嫌なら出ていけ」の言葉よろしく、私は日本から離れる。今はメルボルンにこだわっているけれど、別に本当はどこだって良いのだ。この場所以上に自分に合った居場所を見つけたなら、私はあっさりメルボルンを去るだろう。まぁ、たまには日本に戻ってくることもあるだろうし、その辺は結構適当に考えている。

生きるにおいて本当に大切なことは何かというと、「一人で孤立せずに社会や他人との繋がりを持ち続けること」と「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」の二つだと僕は思う。

他人との繋がりは、日本よりもオーストラリアにいるときのほうが強く感じる。なんというか、人に話しかけるという行為のハードルがめちゃくちゃ低い。

例えば、エレベーターに全く知らない人と乗り合わせた時、オーストラリアでは適当な会話が始まっても不思議ではないという空気が流れていて、赤の他人に対して心が開かれているのを肌で感じられるのだ。日本ではそんな空気は普通流れていないし、私自身、知らない人に話しかけられたらちょっとつらい。たかがそんなことで社会や他人との繋がりって言えるのか?と思えるかもしれないが、少なくとも私のような性格の外国人には充分なインパクトを持っている。

「自分が何を好きか」という問いに対しても、最近になってだんだんその答えらしきものに近づいてきているような気がしているので、この調子でもう少し好きなように生きてみたいと思っている。

オーストラリア人にはオーストラリア人なりのしがらみや息苦しさがあるだろう。しかしそうした悩みは、私には少なくとも今後20年位は感じることができないだろうし、下手すれば一生分からずじまいだ。育った文化の違いはそれくらい根強いものだと思う。少なくとも、今の私はメルボルンにいるというだけで幸せを感じるし、この記事を書いているのは日本だけど、毎日メルボルンのことを考えて胸を躍らせている。この恋心が消えるまではあの街に暮らしたい。

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